単身赴任みちのく日記

(当時)(^^ゞ 51歳 初めての単身赴任。赴任先は青森県三沢市。(みちのく編⇒遠州編⇒陸前編⇒出雲編⇒みちのく編に戻る)             お酒は好きだけど料理作りはまるでダメ。そんな男が無事家族の元に帰れる日は・・・果たして来るのだろうか??

高天神城跡@掛川市

0302高天神城跡
掛川市の県道を走っていると・・・

高天神城跡 (たかてんじんじょうあと)の看板が・・・

早速 取材 に行ってみましょう。




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南口(追手門)の駐車場に車を止めて。




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高天神城(たかてんじんじょう)は、遠江国城東郡土方(ひじかた)(現在の静岡県掛川市上土方・下土方)

にあったお城で、小規模ながら、山城 として 堅固 さを誇り、戦国時代末期には 武田信玄・勝頼徳川家康

激しい 争奪戦 を繰り広げたそうです。

優美な山の形から鶴舞城の別称を持つ国の 史跡 に指定されています。




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では、早速 登って みましょう。




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けっこうきつい 山道 を登って行きます。



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ここが お城 があった場所です。そんなに広くはないですねぇ〜!?

山の高さは海抜 132 メートル、周囲との比高は100メートル程度と、それほど大きな山ではなく、

城郭全体の面積もそれほど多くない。しかし、山自体が 急斜面 かつ、効果的な 曲輪配置 が施されたことで、

堅固な 中世城郭 となっていた。石垣 はなく、多くの土塁が曲輪のぐるりを取り囲み、掘割も設けられていた。

非常に 実践的 で、乱世ならではの城と云える。また、先述の通り急斜面の山であるために通路以外から

よじ登ることはまことに困難である。

南側の大手門から東側の段丘面に武家屋敷があった。北側は搦手であるが、同時に高天神社の参拝道でもある。
                                  (Wikipediaより)



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眼下 には掛川市内が見渡せます。

創建は諸説あって不明ですが、今川氏時代には福島氏のほか、在地の土豪である 小笠原氏 が城主を務めました。

そして桶狭間の戦いで今川義元が戦死し、武田氏の攻撃による今川家が没落すると、

城主の小笠原信興(義忠)は 徳川家康 に仕え、高天神城は武田と徳川の 攻防最前線 となります。

そして1571(元亀2)年に 武田信玄 が2万5000の大軍で攻撃を仕掛けてきますが、

小笠原信興はこれを撃退。高天神城は 難攻不落の城 としてその名を轟かせます。

しかし、1574(天正2)年に 武田勝頼 の攻撃により落城し降伏。

城は武田氏のものとなり岡部元信が城主に。

そこで徳川家康は、付近に横須賀城を築城するなど奪還準備を進め、1581(天正9)年に再攻略に成功。

岡部元信らは討死にし、高天神城は 廃城 となりました。

その後は、山頂にある高天神社が地元の信仰をあつめ、今に至ります。

武田信玄、徳川家康、そうそうたる戦国歴史の「高天神城を制するものは遠州を制す」と

いわれた要衝にあったといえます。



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尾根伝いに歩いて行くと・・・

階段の上に 神社 があるではないですか。



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高天神社 です。1724年に作られたそうです。




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駐車場に戻ってみると の木が数本ありました。

ですねぇ〜!!



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地図はこちら↓





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3月 4日 月曜日

0304朝
おはようございます。

今朝の気温は1℃、寒いです。でも日中は10℃まで上がりました。

週末は夜勤だったのでなんか眠かったです。

なかなか慣れないものですねぇ〜





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