単身赴任みちのく日記

(当時)(^^ゞ 51歳 初めての単身赴任。赴任先は青森県三沢市。(みちのく編⇒遠州編⇒陸前編⇒出雲編⇒みちのく編に戻る)             お酒は好きだけど料理作りはまるでダメ。そんな男が無事家族の元に帰れる日は・・・果たして来るのだろうか??

小泉八雲記念館@松江市

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小泉八雲記念館 にやって来ました。


小泉八雲さんは 静岡県焼津市 でも登場しましたね。

小泉八雲記念館@焼津市







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弟子の落合貞三郎と岸清一の働きにより

小泉家から寄贈された22点の原稿をコレクションの基礎とし、

小泉八雲記念会から寄贈された書籍350冊を加えて、

小泉八雲と妻セツが明治24年5月から11月までの

6ヶ月間新婚生活 を過ごした「小泉八雲旧居」の

西隣に新築された木造平屋建ての和風建築の館を施設として、

昭和9年(1934年)に開館しました。








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ギリシャ 生まれの ラフカディオ・ハーン は数奇な運命に導かれ

初めて日本の地にたどり着いたのが

島根県松江市 でした。1890年(明治23年)








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記念館のお隣にあるのが

小泉八雲旧居 (こいずみやくもきゅうきょ)です。






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ファミリーネームは来日当初「ヘルン」とも呼ばれていたようで

これは松江の島根県立中学校への赴任を命ずる辞令に、

「Hearn」を「ヘルン」と表記したのが広まりです。


当人もそのように呼ばれることを非常に気に入っていたようです。








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1896年(明治29年)に 日本国籍 を取得して「小泉八雲」と名乗ることになります。

「八雲」は、島根県の松江市に在住していたことから、

そこの旧国名(令制国)である出雲国にかかる枕詞の

「八雲立つ」に因むとされています。









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1891年1月 - 中学教頭西田千太郎のすすめで、

松江の士族小泉湊の娘・小泉セツ(1868年2月4日 - 1932年2月18日)と結婚します。

ちなみに再婚です。









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旧士族根岸家の武家屋敷を借りて

1891年(明治24年)5月から熊本に転任する11月までの 6か月間 住んだ邸宅です。







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八雲が居間として使用していた9畳の部屋からは三方に日本庭園を望むことができます。







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なんか・・・

いいでしょ!!


落ち着きます。







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俺が思うに 小泉八雲 さんって

ギリシャ で生まれ、親を亡くし

目を怪我しアメリカに移り日本にひかれ来日。


島根 は寒かったので半年で 熊本 に移動します。



その後 東京 に拠点を置き夏は 静岡県焼津市海水浴 に来るという

行動をしていたようです。


その地点地点で 記念館 があるようです。






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コメント

松江、30年前自転車の旅の途中に寄りました。八雲の部屋で昼寝したのを思い出しました。

  • 2016/12/07(水) 20:49:02 |
  • URL |
  • ジャンボ鶴田 #-
  • [ 編集 ]

ジャンボ鶴田さん、お疲れ様です。

彼の功績はどれほどのものかはわかりませんが、

彼の強さというか国籍や肌の色、宗教観を

越えたところに惹かれますね。


けっこう日本人以上に日本人だったようですね。




  • 2016/12/08(木) 00:08:29 |
  • URL |
  • K-zou3 #-
  • [ 編集 ]

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